あのころ
私がまだ小学生だった頃、個人サイトというものがたくさんあった。
その頃は個人サイトとは言わず、ホームページと呼んでいたように思う。
当時、ホームページを持っているはごく一部の物好きたちだった。
ホームページスペースを借りて、必死に調べながら大文字のみのタグを直打ちし*1、文字を光らせたり動かしたりして、カウンターを設置したりして、とにかく思い思いに楽しんでいた。
当時はGoogleも今ほど賢くはなく、専ら相互リンクを辿って新しいサイトを探した。知り合いになった人のサイトと相互リンクを置いてもらった。そのサイトのリンク集の中にあるテキストだけの自分のサイト名と、たくさんの華々しいバナーを見て、頑張ってバナーを作ったりした。
100の質問、というのもたくさん合った。知り合いのホームページに100の質問が載っているのを見て、同じように自分も載せた。
サイトのコンテンツは少なかった。今で言うところのものがあり、写真を載せたり、絵を書いたり、あとは100の質問や掲示板、そんなところ。
今
ホームページは消滅した。まだ残っているものもあるが、消滅したとそう表現することに違和感を持たないほどには、ホームページは少なくなってしまった。
代わりに、ブログができて、Pixivができて、ニコニコ動画ができた。
情報発信の場はブログやSNSになった。作品発表の場はPixivやニコニコ動画になった。
少なかったホームページのコンテンツは、更に少なくなってしまった。ホームページはもはや存続できなくなた。
それは悪いことではない。情報は整理され、検索しやすく、見つけやすくなった。Pixivを眺めていれば見知らぬ絵師に出会えるし、適当なキーワードで検索すれば知らない人のブログがヒットする。もはや新しいホームページに出会うために相互リンクをたどる必要はない。
だが、あのころはあった何かがなくなったような気がするのも確かだ。それは、合理的ではないかもしれないが、確かに大切なことだった。
そして
世の中はどんどん合理的になって行く。合理的な世の中、なんと美しい、甘美な、艶めかしい言葉だろう。甘すぎて反吐が出そうだ。
合理性は正義ではない。リンゴの皮に栄養がたくさん詰まっているように、無駄な時間にはたくさんの大切なものが詰まっていたのではないだろうか*2。