読書感想文のすすめ

学内の読書感想文コンクールで優秀賞をいただきました。

読書感想文の書き方、技術的なことなどはここには書いていません。勉強会でそれについての話をしたので、気になる方は発表スライドを読んでみてください。

さて、優秀賞と言っても、学内のコンクールでありしかも高専ですから、それほど素晴らしい文章を書いたわけではありません。

しかし、それでも私は自分で書いた読書感想文にある誇りのようなものを持っています。素晴らしい文章ではなくても、この読書感想文は17歳*1の私を切り取ったものであり、その時の私以外の誰にも書けない文章であるという自身があります。

私が読書感想文を書くときは、必ずこれまでに読んだことのある本を選びます。読書感想文を書くということは、本の内容に沿って自らの人生を振り返り、文章にするということだと思っています。

いわば、自分伝記です。私はそのように思っています。

そして、それが読書感想文が嫌いだった私が読書感想文を書いた理由です。

思春期という言葉が私は好きではないですが、あえて使います。高校生というのは思春期のまっただ中です。

思春期の入り口に立った中学生とは違い、もはや十分に大人です。これはいろいろな意見があると思いますが、中学生というのはあまりにも世間知らずです。対して、高校生になればある程度世の中が見えてきます。更に私はインターンに行ったりと、一般的な高校生よりも世の中のことを知っているつもりです。こんなことを言うと、なにを生意気な、とおっしゃられるかもしれませんが、それでも中学生と高校生では天と地ほどの差があるように思うのです。

そして、思春期真っ只中の私はたくさんのことに悩みながら思ったのです。世の中のあれこれを知り始めながらも、悩み、もがき、生きようとしている今の私は、いつか失われてしまうのではないか。いつかつまらない大人になって、普通に生きて、普通に死んでいくのではないか。

そう思ったから、せめて、今この瞬間に考えていること。今この瞬間の私を、読書感想文という形で残したい。そんなことを思いました。

ですから、読書感想文というのは自分伝記なのです。

私は今、悩み、もがき、そして苦しんでいます。しかし、苦しみの中にありながら、それは確かに今私がここにいるという実感を与えてくれます。

時が経てば、この苦しみから解放されるかもしれないと期待すると共に、この苦しみが失われることを恐ろしく思います。

本は人生を豊かにします。読書感想文は人生を切り取ります。あなたも、その想いを未来のあなたに残すために、読書感想文を書いてみませんか?

re 夏の地図

私が八十歳まで生きるとすると、私は人生の五分の一以上を既に浪費してしまったことになる。十三年ヴァイオリンを弾いている友人がいる。情報オリンピックの日本代表を目指す後輩がいる。だが私には、何もない。中学生の頃は、それが当たり前だと思っていた。殆どの人は私と同じように、何もない人生を生きるのだと。何かに必死に打ち込めるのはほんの一握りだけの幸せな人で、私はそんな人間ではないとずっと思い込んでいた。

だが、高専に入って知った。多くの人は何かに必死に打ち込み、あるときは喜び、あるときは打ち拉がれ、そうして凸凹の人生を生きてゆく。私の目には何もない人生に見えても、彼女たちは見えないところでそれぞれの人生を生きている。それに比べて私の人生はまるで鉄道に乗っているかのようだ。何もしなくても、終点まで連れて行ってくれる。

物語の中で、ある少女は自らの人生を振り返り「十六にして余生だ」と言った。だが、私は思うのだ。余生だ、そう思えるのならばそれまでの人生はとても充実していたのだろう。だからこそ、余生であることを悲観するのではないか。いずれにしても、ある地点では充実していた彼女の人生を、羨ましい。そう思ったことを私は否定しない。

別の少女は、自らの境遇を洗濯物に例えた。洗ったあとの洗濯物が入っている籠に入れられた汚れた洗濯物は、そこで肩身を狭くして、籠から出される日をずっと待ち続けるしかないのだろうか。そもそも、貴女は本当に汚れた洗濯物だったの?

幽霊が見える少女がいた。春が嫌いな少女がいた。自分の形を知りたい少女がいた。少しひねくれた少女たちが、だけれども真っ直ぐに自分と向き合い、そして克服する。この物語は私に、なにもないと思っていた私すらも、持っている人であることを教えてくれた。持っている人には持たない人の気持ちはわからない。その言葉に共感して、『はじめから与えられている自分の幸運に気づかない子を横目で見ながら、私自身もそうだったことをようやく知った』。

物語を読み進める中で、思い出したことがある。私にもずっと打ち込んできた、そう表現していいのかはわからないけれど、小学校の頃から大好きな事があるということだ。それは、みんなで歌をうたうこと。一人ではなく、みんなで。

決して上手ではない。中学校に合唱部はなかったから音楽の授業でうたっただけだし、高専の合唱団でだって後輩のほうが上手にうたう。だけど、私には何もないなんて嘘だ。この物語を読んで、私はそんな風に思うことができた。少なくとも私は、うたうことの楽しさを誰よりもよく知っている。 doの音で始まった物語はsiの音で一度幕を閉じる。2つの音で主人公となった御木本玲。それぞれの音で主人公となった少女たち。音はdoからsiの七つだけではない。シャープやフラットを含めると十二、それ以外にも実は無限に音は存在する。そして、同じように私たちの物語も無限に、一人ひとりに自分だけの物語が存在するのだろう。

この夏、私は東京で二週間のインターンシップに参加した。凸凹の人生は待っていても来ない。だから、自分から作ることに決めた。用意された道を無視して、初めて自分で地図を作りながら歩いてみた。この本を読んでいなければ、歩み出せなかっただろう。五分の一を浪費したのではない、まだ五分の四も残っているんだ。物語に登場した六人の少女たちが教えてくれた。私の人生は、これから始まってゆくのだと。

*1:先日、1/5に誕生日を迎えましたので、今は18歳です